中澤達浩が日々の家づくりを日誌にしてます。
社長日誌―2024/09/21
節操の衰退~現代社会における一貫性の欠如~
最近、私が気になるのは「節操」という言葉の使われ方です。この言葉がまるで死語のように感じられることがあります。私が考える「節操(せっそう)」とは、行動に一貫性がなく軽率であること、あるいは誠実さを欠いた様子を指します。現代では、このような態度が目立つようになっているのではないでしょうか。
コンビニが増えたことで、私たちの社会に変化が現れているのかもしれません。特に気になるのは、コンビニの駐車場での行動です。朝の忙しい時間帯に、2つの道路に面した駐車場を平然と通り抜ける車の姿が目立ち、しかもそのスピードは結構なものです。また、トイレだけを利用して何事もなかったかのように店を後にする人たちも増えています。このような行動が、節操の欠如を象徴しているのではないでしょうか。
私たちの意識
コンビニでの行動を見ていると、ふと考えることがあります。もし自分の家の庭に、知らない人が平然と車で行き来したり、突然入ってきてトイレを使ったりしたら、どう感じるでしょうか?
と、そんな光景を見た時に思いを巡らせますね…
未来のために考える
公共の施設でも同様に、汚して平然としている人たちがいます。お金を使ったり税金を支払ったりすればいいという考えも一理ありますが、それだけでは「感謝」の気持ちが欠けているように思えます。
これから自分の子どもたちがこのような社会で生活していくことを考えると、少し悲しくなることもあります。良い・悪いの二元論ではなく、「人を思いやる気持ち」や「他者を敬う心」、そしてキリストの教えのよう(私はキリスト信者ではありません)に「隣人を愛する」という姿勢があれば、もっと良い社会になるのではないでしょうか。この思いを込めて、今回の記事を書きました。
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